新聞社の政治部は政局の写し鏡?

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政治というのは一般に国政、つまりまつりごとを指すが、内向きにみると、権力ゲームといえる。で、番記者というのは、私の観察するかぎり、けっこう自分の番についてる政治家に肩入れする傾向がある。

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で、自分の番をしている政治家が出世(?)すれば、その番記者の政治部内でのポジション(?)もあがる傾向にある。

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しかし、世論が民主党支持に傾くと、小沢番記者とか民主党の政治家の番をしている記者の政治部内発言力が増す傾向になるし、読者の喜ぶ記事、読みたい記事が、民主党の動向・発言に集中すれば、あるいは現政権の批判に集中すれば、自然と野党政治家の番の出稿やネタも増える。

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政治部は省庁のクラブに所属する記者や選挙班などをのぞけば、官邸(政府・内閣担当)、平河(与党担当記者)、野党(おもに民主党担当)などに振り分けられ、それぞれキャップがいて、記事を出稿するのだが、

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官邸記者クラブのメンバーを総入れ替えするとき、「解散」といったり、新聞社の政治部って、日本の政治(権力ゲームの方の)の縮図といえるかもしれない。

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というわけで、政治部記者の中にはみずからを、政治のプレーヤーの一員だと思う人もいる。

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他の興味深い内容

秘書官の発言は「首相周辺によると」、官房長官は「官邸首脳によると」、官房長官官房副長官は「政府高官によると」

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なぜかというと自分がつかんでいる情報と、オフの場で言われたことが一致すれば、それは永遠に封印しなければならないから。欧米ではオフといえば、その情報自体を墓場にもっていけ、という意味。日本の場合、完全オフレコ(完オフ)という言葉もあるが、これも実は完全に完オフではなくて、別のところで同様の情報をきけば、それは書いていいことになるらしい。懇談会などで完オフといいながら、その翌週の週刊誌にその内容ばばんばん流れていること自体、完オフの意味なし。

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「慎重に検討します」「慎重に考慮します」といは、「検討しません」「考慮しません」

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ある先輩記者は私が政治部にいったときいて、「権力に近い場所にいくことと、自分が権力をもっていることとは違うから気をつけよ。政治部の記者の中にはそこを勘違いするヤツがいる」と忠告してくれた。

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ぶっちゃけすぎでは…。こっちが心配になっちゃう。