NHK問題 (ちくま新書)

NHKとは、「公共性」と「ジャーナリズム」の欺瞞を二つとも兼ね備えた信用ならない組織だそうだ。

p. 7

最近の若者は気にくわないと言うべきところを、公共性という言葉を持ち出して、あたかも普遍的な議論のように語る。その狡猾さ―しかも底が浅い―が、公共性を口にする人嫌う理由の一つになる。

p. 8

…、ジャーナリズムが中立公正で、客観的かつ科学的で、しかも市民の味方であった試しなど過去に一度もなかった。ジャーナリズムは常に偏り、常に主観的で、非合理的であった。

p. 19

第一次世界大戦の宣戦布告直後の一九一四年八月一五日、ドイツはイギリス海軍によって独米間の海底ケーブルをあっさり切断されてしまい、情報戦において不利な立場に置かれる。

この時すでに独米間にケーブルが通っていたというのが驚きだ。

p. 23

新聞社にしてみればラジオは商売敵になると言う懸念があった。…、発達しつつある無線電話、無線電信と後するためにアメリカでは夕刊が登場したとあった。一日一回発行では速報性において遜色があるようになっていたというのだ。

夕刊はラジオへの対抗策として導入された。また、新たな通信メディアを敵視する既存メディアの反応は今も昔も変わらないと言うことがよくわかった。が、当時のラジオに対する新聞社の態度は、ここ数年見られる新聞社やテレビ局のウェブに対する冷ややかな視線とはずいぶん異なったようだ。

…、こうした無線電話、電信の驚異は新聞社がそれを手中に収めてしまえば新たな武器になる。新聞社がラジオ実験に熱心になる背景にはそんな考え方があった。

ラジオ体操の話に1章が割かれている*1というのが気になったのもあってこの本を買ったのだった。

ラジオ体操は日本のオリジナルだと思いこんでいたが、オリジナルはアメリカにあることがわかった*2

アメリカのメトロポリタン生命保険会社がニューヨーク、ワシントン、ボストンの三ラジオ局を通して放送していた「体操」。それがラジオ体操のルーツだった。

なぜ生命保険会社が体操を?と思ったが、生命保険の「人の死を待つ不吉な商品」という負のイメージ広告を払拭するための広告だったようだ。生命保険会社は皆さんの健康を願っていますよ、というアピールなのだった。

で、日本でも同じく生命保険の広告としてラジオ体操が導入されたのであった。その保険とは逓信省の簡易保険、いまの通称「かんぽ」だ。ただ、公共放送での広告は禁じられていたので、表向きはかんぽの保険ではなく「国民の保健のために集団的精神を培養する」という意味の分からない目的を掲げていたとのこと。おかげで広告としては機能しなかったようだ。

p. 33

一九三三年の明治神宮体育大会では、開会式で鳩山一郎文部大臣があいさつ。「全国津々浦々に亘り、数百万人の国民が同じ号令の元に一糸紊れず、同一の運動を行ふことを考へますと、実に壮快極まりないものがあります」と述べた後に、…

そりゃあ、壮観でしょうねえ。(そういえば、四天王寺中高の体育祭は例年大阪城ホールで行っているらしい。すごいね。)

p. 49

『イチ、ニ、大きく、のびのびと……ロク、シチ」と号令が断片的にはいるようになったのは、GHQに対して「これは命令ではない、聴取者とのコミュニケーションである」と言い逃れが可能なようにという配慮だったらしいが、

p. 54

放送法第三条の二第一項には「…三、報道は事実をまげないですること。…」とある。

あるある大辞典IIのねつ造問題が騒がれたときに、バラエティーだからとか報道じゃないからとか言う輩がいたのはこういう条文があるからか。法律上は報道じゃなければ虚偽の情報を放送してもかまわないということか。

p. 55

現政府の政策を批判する番組を作る放送局は気にくわないので、「政治的に公平ではない」という理由を付けて免許を取り上げてしまう。そんなことができてしまうようでは放送ジャーナリズムは「第四の権力」たりえない。

"The Fourth Estate"ってやつ。なぜ"the Fourth Power"じゃないのか不思議だったんだけど、検索してみたらこんな記事があった→http://d.hatena.ne.jp/solar/20060808/p2。EPIC 2014の冒頭はパロディだったと知って『二都物語』を読んでみたくなった。

NHK問題 (ちくま新書)

NHK問題 (ちくま新書)

*1:第1章 「健やか」な日本のラジオ体操―共同性と公共性

*2:Wikipediaにもちゃんと記述がある→ラジオ体操 - Wikipedia